ミウッチャ・プラダとパトリッツ・ベルテッリ

本日はのミウッチャとパトリッツとの出会いがPRADAに巻き起こした革命について。

を書きたいと思います。

前回の記事の終わりにも書きましたが、1977年ミウッチャ・プラダがPRADAに加わる

事になりました。

その当時も、PRADAは大変人気のあるブランドでBAGのコピー商品が出回る程の人気でした。

コピー商品を出しているブランドは何者か?とミウッチャは気になり、探していると

ある展示会でコピー商品を出しているブランドを見つけることができました。

コピー商品を目の当たりにしたミウッチャは、PRADAのBAGと細部までそっくりで

驚いたそうです。

そして、このコピー商品を出していた男が、PRADAを変え行くキッカケを作った

パトリッツ・ベルテッリでした。

彼はミウッチャから幾つかの質問を受けている、PRADAの関係者ということを知り

こう言ったそうです。”私と組めば(ビジネスパートナーとして)、世間に大きなインパクトを与えれます”

ミウッチャは怒りを通り越し、初めは相当ビックリしたそうです。

その後、何度かやり取りをする中で、二人は一緒に仕事をする事に。

初めてミウッチャに会った際、パトリッツは

"物の見方を変えなければ。物事をもっと広い視野で考えられるように

目を覚まさなければいけません"と言ったそうです。

この一言で、ミウッチャは納得し、共に仕事をする事を決めたそうです。

PRADAは新しい一歩を踏み出さなければならない。立ち止まる者は道に迷った者だ”

これがパトリッツのモットーとなり、PRADAを大きく成長させる一歩を

踏み出すことになりました。

会社として新しい一歩を踏み出す際に、ミウッチャが反対をしても

パトリッツは言葉を巧みに操り、口調を替え説得させたそう。


1983年スピーガ通りに二号店を開店。


それまで、ブティック街の筆頭はモンテナポレオーネ通りだったが、スピーガ通りが

その座を脅かそうとしていた。

薄緑色のシリーズ、プラダ用語で、”リネアヴェルデ”(緑のライン)が初めて

お目見えしたのスピーガ通りだった。

この色はその後、PRADAの店や商品のシンボルカラーとなりました。





次回の記事では、プラダのビジネスについて書いていこうと思います。


写真は、今は夫婦となり、共同経営者として共にPRADAを支えている

ミウッチャとパトリッツのお二人です

think rich look poor

Think rich look poor A.Warholの名言”見た目は貧しく、知識は豊かに”へのオマージュ。 ファッションをカルチャーと捉えている、私独自の目線の高さでご紹介。 (趣味なので、事細かい部分まで書かない場合も有りますが、悪しからず。) Peanuts book 日々のことや、おすすめ紹介のページ。 アーティスト紹介など。

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