PRADA誕生

第一回目は世界的にも有名なブランド、"PRADA"についてご紹介していきたいと思います。

テーマごとに記事を分けて書こうと思いますので、宜しくお願いします。


本題に入りまして、まずPRADAの誕生について書きたいと思います。

1913年マリオ・プラダ(兄)とマルティーノ・プラダ(弟)兄弟によりPRADAという

上品なお店は誕生しました。(当時は今で言うセレクトショップとして)

商品はスーツケース、仕切りのたくさん付いたトランク、旅行バッグ、スカルモチーフの

付いたパーティバッグ、ステッキ、べっ甲のブラシ等

時代に合わせた商品展開プラス、風変わりで奇妙な商品等も取り扱っていました。

中でも、当時は馬車や船での旅行が富裕層の中では人気が有り、上質な革のスーツケースが

人気でお店は大繁盛。成功を収めることができました。


そして、開店から6年後の1920年PRADA兄弟のお店は、当時最大の威信を誇っていた

”サヴァイア王家”御用達となりました。この評判により、更に顧客は増加。

(開店当時から白/黒の市松模様の床タイルで店舗を作っていたそう)

その後、順調に二号店を出すも第一次世界大戦から第二次世界大戦勃発までの間に

カメ、ワニの高級革製の商品が似合う時代が下となり幕を閉じることになります。

この傾向で、派手なカバンを持ち、船で旅行する時代も終幕を迎える。

この結果、ローマ三号店を出店する計画も中止、ミラノの一号店も経営不振に

陥ってしまうも、持ちこたえるできました。(マンゾーニ通りの二号店は閉店となる)


マルティーノ(弟)は一次大戦〜二次大戦の間に政治的関連で兄の元を離れ

その後は、マリオ・プラダのみでの経営となりました。

1958年、創業者の一人であるマリオ・プラダの死去。

後継ぎに、娘のナンダとルイーザが継ぐ事に。

ルイーザは、”ドイツ”的な性格の持ち主でも有り、組織を統率する能力を兼ね備えていた。

(ドイツ的な性格とは、真面目さ、伝統文化を守る例えです)

この、PRADAは大きな方向転換を迎えるとなります。

この時代、ミラノ、ガッレリアにある一号店は、外観の華やかさを失わず、

ターゲット層を上流階級から中産階級に

(1960年〜70年は不況の時代で、上流階級より、中産階級が復興に尽力していた)

この結果、PRADAは創業当時のように活気あるショップとして再スタートを切り始めた。


1977年、PRADAにとって後の大きな一歩となるマリオの孫にあたる

”ミウッチャ・プラダ”が”PRADA”に加わる。



第一弾はこの辺にて締めくくろうと思います。

今回、この記事を作るにあたり、今まで自分が知らなかった事を知るキッカケになり

勉強になりました。

まだPRADAのストーリーは続きますので、お楽しみに。

次回は、ミウッチャ・プラダとパトリッツ・ベルテッリの出会いから始めたいと思います。

think rich look poor

Think rich look poor A.Warholの名言”見た目は貧しく、知識は豊かに”へのオマージュ。 ファッションをカルチャーと捉えている、私独自の目線の高さでご紹介。 (趣味なので、事細かい部分まで書かない場合も有りますが、悪しからず。) Peanuts book 日々のことや、おすすめ紹介のページ。 アーティスト紹介など。

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